自分の性別ってなに?

全般

先日、

『自分の性別って知ってる?』

と長女に尋ねると

思ってもみなかった返事が返ってきました。

性別を知らせる必要ない。知る必要もない。

ある日のこと

『自分の性別知ってる?』

と長女に聞くと、

『うーん、よくわからない』

『女子と認識されていることは知っているけど、どっち?と聞かれると、よくわからない。』

という返答が

返ってきました。

『まぁ、どっちでもいいかなぁ、使いやすい方を使い分ける感覚な気がする。』

『テストでマークシートで、女か男かのところにチェックするところを見る度に違和感は感じてる。』

『性別を知らせる必要あるの?って思う。』

『テスト以外でも、自分がどういう性別か、人に知らせる必要はないと思う。』

などと、長女が自分の考えていたことを

沢山話し始めてくれました。

性別を相手に知らせることで、

その人とのコミュニケーションで

何か問題は生じるの?

と、言いたいようです。

みんな人間。私は私。

『私は私』長女はそう言います。

性別を知らせる必要はない!!

と言うなら、尊重します\(^o^)/

と返すだけですが、

自分の性別を知る必要もない!!

と言い切る長女に対し、

正直、すぐには理解が

追いつきませんでした・ω・

知る必要もない?!とは、、、、。

しばらく、じっくり考えました。

自分の性別を知る必要もない?!

今なら、心から理解できますが

知る必要ない!!

と言い切る長女に対し、

『わぁ!!かっこいい!!』

と思いました\(^o^)/

ぁあ、、私の価値観も

アップデートし続けなくては!!

と思わせてくれました。

『私は私』

それでいいんだ!!

と力を込めて言う長女は

本当にいい顔をしていて

頼もしく思いました\(^o^)/

血液型といっしょ。

なぜ、長女の言っていることを

理解できたのかというと

血液型に置き換えて考えると

しっくりきたのです。

相手とコミュニーケーションをとるのに

血液型を知っているかどうかで

コミュニケーションに支障がでるのか?

ということです。

自分の血液型を知らない人も

世の中にはいるし、

私自身、妊娠を経験するまで

自分の血液型を知りませんでした。

生きていく上で、血液型を知らなくて

困ったことも、医療機関にかかる時以外

ありませんでした。

生物学的な性別は知る必要がある時はあるけど

それは医療機関で調べる必要がある時に

調べれば良いのだ!!

と長女は言いたいのです。

ノンバイナリー、クエスチョニング?

長女が

『性別は?って聞かれると、わからない』

と言ったので、

『ノンバイナリーとかクエスチョニング?って事??』

と私が返すと、

『そうやって、カテゴライズされる事も違和感!!』

と言われました。

そんな娘の話をある人に話をすると

こんな事を教えてくれました。

『分類やカテゴライズは、他者をジャッジしたり他人が他人を枠組みに押し込むものではありません。言葉やカテゴリーは様々な性を生きる人が自分を理解したり、情報を集めたり、学んだりするために使うものだと思います。言葉を持つことで安心したり、理解が進むこともあるので、そういう点では価値がある。』

男女二元。異性愛規範の社会。

『世の中のほとんどの人は

男女二元で異性愛規範の社会の中で生きているし、

社会制度も、そのような考え方を

土台に設計されていることがほとんどなんだ。』

と教えてくれた人がいます。

この言葉を聞いて、

私自身も、この価値観が自然と染み付いている事に

気付き、ハッとしました!!

価値観をアップデート。

今回、長女の話をじっくり聞くことができて

私にとっては大きな大きな宝物を

もらった気分です(*^^*)

私が子を教え育てているのではなく

子どもたちに日々育ててもらっていることを

確信しました。

子育てをする中で一番大切なことは?

と、もし今聞かれるとしたら

『自分の価値観をアップデートし続けること』

と答えると思います(^_^)




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